西小林小
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 玄関前。私達の時代には瓦葺の木造平屋校舎が三棟並んでいた。
北校舎・中校舎・南校舎。南校舎が無くなり庭園になっている。
 体育館。卒業する時は骨組みの鉄骨だけだった。(旧音楽室跡)
入学・卒業式は、中学校の体育館(今は作り替えられている)だった。
 最初の鉄筋校舎(写っている所だけ)。六年最後の学期に入った。
中学に入学したら、また木造平屋の節穴だらけの校舎だった。
 放送棟。電柱で造った遊具もある。右側奥は北門へ。
 西門から体育館を見る。  昭和46年度卒業生の記念碑。時計台の向かって右には、丸い大理石(?)があったような気がしたが?。
 ケヤキ。この日は風は吹いていなかった。おいおい!頼むよ真っ直ぐ、真っ直ぐ。子供達(ケヤキっ子)が見ているから・・。台風18号のせいか?  平成の子供達がもう高校生。
 殉難者の碑。線香があげてあった。二度と戦争をしてはならない。”戦争の放棄”憲法第九条。世界に一つしかない平和憲法である。他から押し付けられた憲法?憲法改正?とんでもない、”改悪”するんだろう?自分(議員)達に都合の良いようにつくる物(憲法・法律)ほど(庶民に対し)悪いものはない。  この年、この日、この時間、奉仕隊の列に私の母もいた。
右と左に手をつないで歩いていた同級生二人は亡くなった。戦争とはいえ卑怯極まり無い。子供達を狙うとは・・・。母が死んでいたら、私は存在していない。(左”殉難者の碑”の拡大)
 昭和二十年八月十日
午前九時(第二次世界大
戦中)西小林駅前におい
て西小林国民学校児童を
主体に編成する勤労奉仕
隊に突如飛来したアメリ
カ グラマン機の機銃掃
射弾は 哀れ十名の尊き
生命を奪った
 あゝ 呼べど声なき
みたまよ とこしえに
 安らかなれ と命し
   ここに碑を建立する
  昭和四十七年三月建立
      西小林振興会
 昭和54年度卒業記念。彼は何を指差しているのだろうか?。 上”殉難者の碑”の書文

 卒業生の皆様へ、記念碑、記念樹など、まだたくさんあると思われます。ここ撮って来いと”御要望”があれば、撮影し掲載させて頂きます。”御要望”は、掲示板(電子回覧板)又はwebmaster@magohachiraki.jpへお願いします。